目覚めれば川のほとり

葉山でゆったりまったりライフ

理想の家、理想の暮し

以前妹に、こんな本をプレゼントされたんです。

世界の絶景の家

『世界の絶景の家』という写真集。

いろんな国、いろんな土地の、いろんな暮しを想像してしまう素敵な写真の数々。

まあどれも、こんなところに?!っていう場所に家が建っている。

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どれも絵じゃないんですよ。実在する。↑とかすごいよね。どこに家がって感じですよね。(左下ね)

たまに開くんですけど、意識がここじゃないどこかへすぅっと飛んでいって、ちがう世界にいる感覚があります。わたしの場合、日々のこまごましたことに気を取られてるときは、こういうのを観るとバランスが取れるようです。

 

世界は広く、いろんなひとがいて、いろんな生活がある。

そのなかでの理想の家、理想の暮し。みなさんにはありますか?

 

わたしにはね、明確にイメージできている家があるんです。

それは森のなかにある白い石造りの建物。ベッド以外ほとんど家具のない広い部屋で、ふんだんに入ってくる陽光に目を覚ます。

その部屋にはベランダがあり、わたしはそこに小さなテーブルと椅子を出して仕事をする。したからは庭で遊ぶこどもたちのにぎやかな声が聞こえてくる。

食事は家族で庭で食べる。庭には窯があり、そこではパンを焼いたりピザを焼いたり。午後は庭で採れたハーブでお茶を淹れ、見渡す限りの緑に執筆で疲れた頭と目を癒してもらい、葉擦れの音を聴いてゆっくりする。

庭から森の小径を抜ければ一気に視界が開けてそこは海。夕陽が沈んでいくのを観ながらその日一日を振返り、夜は自宅のテラスで星空を眺める。すきな音楽を小さな音で流すのもいい。

ただ満足がある。ただ感謝がある。満たされたきもちでまた眠りに就く。

静かで、無駄がなくて、すきなものに囲まれた生活。心の底から自由で、幸福感に満ちた暮し。

 

理想の家、理想の暮し。

 

「理想」って、あらためてどういう意味かなと調べてみたら、「考えうる最も完全なもの」と出てきた。

さらにウィキによると

理想(りそう)とは、考えられるうちで最高の状態のこと。プラトンによる哲学思想「イデア」を明治時代に直訳した用語。

また、ある条件定義し、それにあてはまったものを指して「理想」と呼ぶ場合もある。現実の対義語 (理想⇔現実) であるが、その現実を作る上で、目標となるものである。

なるほど。

「理想」と「現実」は、やはり対極にある言葉なんですね。

こう定義されているのを見るとあらためて、「理想」がすばらしく、目指すべきもので、「現実」はそこに向かうための過程のように感じられますね。

 

前述した、わたしのイメージする家、暮し。

これは「理想」なのかな、とちょっと疑問に思った。

考えうる最善の状態。そうかも。たしかにこんな暮しがしたいと思ってる。

でもべつに

もっとすごい生活でもいいと思ってる。

もっと豊かで、もっと喜びに満たされて、もっと驚くような感動があってもいいと思ってる。

つまるところ、わたしの想像を超えた、

どんなことが起こってもいいと思ってる。

 

そこで現実を振返ってみた。

いま、わたしが実際に生活しているこの空間、この身体、この意識。

あたりまえのように送っている日々のこの暮し、起こる出来事ひとつひとつが、わたしの想像を超えて、完璧な秩序のもとに齎されている。

思いもよらないことにびっくりして、悩んだり、葛藤したり、でもあれがこんなところに繋がってたのか!なんて信じられないほどの喜びに遭遇したりする。

 

「理想」は、ひとが考えうる最善のものかもしれない。

でも

 

「現実」って、もっとすごいじゃん。

 

そんなことを思いました。

 

 

 

理想は理想でいくらでもあっていいと思う。

でも現実が、いまここにあるものが、ほんとうにすばらしいんだって。

わたしが考えるどんなものよりも、ずっとずっと、これこそ最高なんだよなって。

 

そう思って眠りに就く、今夜はきっと、理想の家で理想の暮しをしているわたしと、おんなじきもち。

 

明日の朝は、清々しい目覚めが待っている。

明日は雨みたいだけど。

どんな天気でもね。

 

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