目覚めれば川のほとり

葉山でゆったりまったりライフ

抗がん剤という選択肢

昨年末、母に悪性腫瘍が見つかりました。

胃食道接合部癌。

文字どおり、胃の内側の食道とのつなぎ目あたりにできた腫瘍で、発見したときそれはすでに食道をいまにも塞ごうとしている状態でした。

進行度はステージⅢ-b。ぎりぎり手術できる段階で、病院の柔軟な対応のおかげで無事切除することができました。

もちろん切除したのはがんだけではありませんでしたが。

胃のすべてと食道の一部、食道は、手術中に予想より広い範囲にがんが見つかり、予定より多く、これ以上取除くのは危険というところまで切取りました。

不安だったのが、切除したぎりぎりの部分までがんが見つかっていたので、それ以上の範囲にまで広がっている可能性が高いということでしたが、がんは見つかりませんでした。母と、家族と、ほんとうによかったと喜んだものです。

 

12月の半ばに手術。年が明けた1月の初旬に退院。

そのひと月後の検査結果も良好で、このまま順調に回復してくれたらいい、そうなるだろうと思っていました。

いえ、じつはいまも思っています。わたしは。

ただ、病院の先生にはそう映らない。

先々月、退院後2回目の検査を行いました。

「数値が上がってますね。よくありません」

その検査結果は母ひとりで聞きに行ったので、正確なところはわかりません。ただそんな趣旨のことを仰ったそうです。

抗がん剤を使いましょう」

 

手術の最中のことですが、先生から呼ばれました。なにかあったのかと、通された小さな部屋でわたしは震えるようなきもちでした。

先生が話してくれた内容は、前述した「がんの範囲が想定以上に広い」ということでした。そのため切除する部分が多くなると。

仕方ないと思いました。そこは先生にお任せするしかない。できることをしてくださいと、頭を下げました。

先生は承知して、つづけて今後の話をされました。

「手術のあとは抗がん剤を使っていきます。よろしいですね」

正直寝耳に水でした。

「それは考えさせてください」

そう答えると、先生は驚いた、というより理解できないという顔で、「なぜですか」とすこし声を上げました。

わたしには、抗がん剤でがんは治らない、というより薬で病気は治らないという考えがあり、むしろがんができる仕組と抗がん剤の役割を思うと、母にいい影響をもたらすとは思えなかったのです。

ただそれ以上に母の身体の話ですから、本人のいないところでこんな大事なことを決めることは到底できませんでした。

だから即答できない、という話をしたのですが先生はなかなか納得されず、「なぜ抗がん剤を使うのを拒むのか」と詰寄られました。

あのときの恐怖は、正直忘れられません。すぐそばで母が開腹された状態で、早くそこに戻ってほしいのに、なんでいまそんなことを決めなきゃいけないのかと、でもそうもいえずもどかしいきもちでいっぱいでした。

わたしが首肯するまで先生は話を終えない雰囲気でしたが、それでも「本人の意思が大事ですから、本人に聞くまではお答えできません」と、その場での決断をきっぱりと断りました。

渋々ながら、なんとか手術に戻ってもらえてほっとしましたが。これからの治療方針を決めたいという先生の話もわかるけれど、それでもあのタイミングにそこまでこだわったことにはいまも首を傾げてしまいます。

術後、同じ部屋に通され無事終わったとの報告を受け胸を撫で下ろしました。先生にはほんとうに感謝しました。ありがとうございます、と深く頭を下げました。

ただ、やはり抗がん剤の話がそこでも出て、「使っていいですか、いいですね」と当然のようにいうので、さきほどと同じことを繰返しました。

自分なりの考えはありましたが先生は聴く耳がなさそうだったので、とにかく「本人の意思次第」と重ねて伝え部屋を出ました。

 

入院中もひやっとすることがいろいろあり、退院の時期も予定より長引きましたが、それでもちゃんと退院できて、いまは母もふつうに日常生活を送っています。

体重が増えないことが気がかりではあるのですが、わたしから見て、母のいまの状態はわるくない、むしろよくなっているなという印象でした。

顔の肌つやが腫瘍が取除かれるまえより格段にいいですし、しわが薄くなり、透明感があるのです。ちなみに母は古希をとうに過ぎています。

そんななか、先生のいう「数値が高い」⇒「抗がん剤」という理屈がいまいちわからない。そもそも「数値」とはなんの数値なのか。

 

次回はお嬢さんもいっしょに来てくださいといわれたそうで、その検査の数日後に母とともに病院を訪れました。

「数値」のことを訊ねると先生は「マーカーが異常に上がっていて、これが上がるとよくないんですよ」ということを仰いました。「だから抗がん剤を使いましょう」。

母と顔を見合わせ、「使うつもりはありません」と答えると、やはり「なぜですか」といわれました。答えようとしましたが、先生は以前から訊ねるわりにわたしの話してる途中でしょっちゅう話を遮り、曲解した状態で自論を展開するので会話になりません。

 

先生がわたしたちの答えに納得できないのもわからなくはないのです。先生も何度もいっていましたが、抗がん剤は現在の日本では「標準医療」だからです。

でも「標準医療」という言葉は、わたしにはなんの安心感ももたらさない。

ひとはひとりひとりちがうから。

 

 

 

わたしは、がんはわるいものだと思っていません。

がんは、そとから入ってくるウィルスでも細菌でもなく、身体のなかから生まれてくるものです。身体を、そのひとを守るために。

このメカニズムを知ったとき、わたしは母の体内に生まれたがんに、感謝しました。

がんは身体からの警告。いまのままでは思いがけず早く死にいたる、だから生活を、自分の在り方を見直すよう教えてくれているんです。

がんがどのようにしてできるのか、そして抗がん剤とはなんなのか。わたしが学んだこととわたしなりに理解していることを、いずれお話したいと思います。

腫瘍マーカーの数値が上がったから抗がん剤を使う、という考え方にも、やはり疑問が残るということを。

 

 

 

 

抗がん剤という選択肢はわたしにはない。

でも今日、母は抗がん剤を使うことに決めました。

母の選択をわたしは尊重します。母の身体は、母が責任をもって扱うべきです。

ただ、わたしはいえることをきちんと母に伝えていきたいと思う。うまくいえなくても、心をこめて。

 

わるいところなんてなにもない。

お母さんの身体は、無償の愛で、いまも懸命にお母さんを生かしてくれているよ。

 


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