目覚めれば川のほとり

葉山でゆったりまったりライフ

自分を抱きしめる

昨日の記事でアタラクシアについて触れました。

アタラクシアとは、なににも乱されない心の平静な状態のこと。

周りで起きることもなにかも、すべては自分のなかから生まれるんだよね、だから自分次第でいくらでも状況は変えられるんだよ。

とはいいませんでしたがそういうことがいいたかったわけです。

それを忘れないようにしないとね。

と自分にいい聞かせてみたわけです。

 

そう、忘れるんです。

だって

 

人間だもの。(あいだみつを)

 

いろんなことで躓くし、躓けばなんでうまくいかないのって苛立つし、自分はなにをやってもむだだと思ってしまう。

なにかの、だれかのせいにしたくなることだってある。

気分がよくないときって追い打ちをかけるように気分が落込むことが起きたりします。ずいぶんまえの仕事の失敗がいまごろ明るみに出たり、早く帰りたいのに電車が遅れたり道が混んでたり。

道端のごみがやたら目について綺麗なものが見えなくなる。

緑にも花にも真っ赤な夕焼けにも心を動かされない。

些細なことで、いらいら。どんより。

 

むかしに比べたらだいぶぱっと切替えられるようになってきたけど、それでもどうしようもないときってあります。なんだかやけに泣けてくるとき。

こんなとき、ああまた忘れてる、って思う。

こんなんじゃだめだなあって、自分を責める。

内省はときに必要だけれど、自己否定に繋がる場合もある。

自己否定してしまうと、状況はあまりよくならないですね。

当然ですよね。そのときの気分って最悪だもの。

最悪の気分のときは眼にもそんなフィルターがかかって、いやなものばかり見えてしまう。そこに意識が向くから、周りにはそのいやなものばかりが存在してしまう

ほんとうは、すきなものもたくさん溢れているはずなのに、意識に入らないから存在しなくなってしまう

そして自己否定は他者否定にも繋がる。「否定」が軸になるから。ますます悪循環。

 

もう泣くしかない、こんなときは。

流れるままに涙を流し、上げたいままに嗚咽を上げるしかない。

わたしはこれでたいがいすっきりします。

涙にはストレス物質が含まれるなんてこともよく聞きますが、涙を流すことで自身の周波数が変るそうです。これはバシャールの言葉。

くるしさやつらさを感じている周波数から、本来のもっと自分にとって心地のいい周波数に、すっと変るのかもしれません。


ダリル・アンカ(Darryl Anka、1951年 - )は、特殊効果デザイナー、チャネラーである。特殊効果デザイナーとしては、ハリウッドでヴィジュアル・エフェクトの仕事をしていた。手がけた主な作品は、「スター・トレック」「アイ、ロボット」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ダイ・ハード4.0」「アイアンマン」など。

UFOを目撃したことをきっかけにチャネリングができるようになったとしており、地球外知的生命体バシャール(BASHAR)と交信しているとして、その内容をまとめて出版している。1987年に初来日し、日本の精神世界・ニューエイジを信奉する人々の間で著作が流行した。

(以上ウィキペディアより)


 

 

 

でも、あらためて思ったんです。

いろんなことに怒ったり悲しんだり、つらいなあって胸を掻き毟ったり(そんなことはほとんどなくなったけど)、

ん、待てよ、

それもあたりまえのことだよなあ、

と。

人間なら。

わたしたちは、それを味わいにこの世に生まれてきたんだから。

 

いつもなんでもうまくいって、つねに心穏やかにいられたら、それは素敵かもしれないけどつまらないかも。よろこびに、しあわせに気づけなくなるかも。

くるしいことやつらいことがあるから、よろこびは鮮明になるし、どこまでも大きく広がる。すきになれないものがあるから、すきなもののよさがよーくわかる。

わたしたちは、この世界でつねにコントラストのなかにいる。

光と影、相反するもののなかに。それこそ、完璧なんだ、と。

 

だから怒ったり悲しんだりする自分を責める必要はないし、その感情に抵抗することもない。

がんばって気分を変えようとか、明るいきもちになろうなんて、考えなくていい。

 

そう、あらためて思ったんです。

 

実際、むりに変えようとしなくたって自然と変ります。

いやな気分って意外とそう長くはつづかないものです。

だから逆になにかに怒りや悲しみを覚えたら、チャンスと思ってその感情をじゅうぶん味わうといいかもしれない。

ほったらかしにするんじゃなく、その感情にすき放題させるんじゃなく(それだと思考も暴走しがちになるから)、「自分が」まっすぐそこに向合うこと。

そして認めてあげる。怒りも悲しみも、それを内から湧き上がらせた自分も。

 

そうすると、ないがしろにされなかったその感情は落着きを取戻し、やがて消化される。

消化されたら、すごくいい気分になっているはず。

そのときその感情は、昇華されてるから。

 

そうやって自分のどんな部分も包んでぎゅうって抱きしめてあげると、思いっきり自分を愛してあげると、逆にちょっとやそっとでは芯のぶれない、怒りや悲しみに惑わされない自分が、そこにいたりするんじゃないかなあ。

それこそ、「アタラクシア」なんじゃないかなあ。

 

そう、あらためて思ったわけなんです。

 

自分を抱きしめよう。うん、そうしよう。

自分をぎゅうっと抱きしめるのは、宇宙をまるごとぎゅうってするのと同じこと。

宇宙にたくさんたくさん愛を送れば、寛大で無限なる宇宙は、もっともっとたくさんの愛を返してくれる。

 

それ以前に、わたしたちはつねに、無限の愛に包まれている。

不完全な自分も。宇宙は愛してくれている。

 

不完全であることが完全なのだと、宇宙は知っているからね。

 


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