目覚めれば川のほとり

葉山でゆったりまったりライフ

エンジェルナンバー

ドリーン・バーチューという方をご存知でしょうか。

4代つづく形而上学者の家系に生まれ、幼いころから天使や妖精を見ることができていた特殊能力の持主。ただ彼女の言によればそれは「特殊能力」ではなく、だれでもその力はあるそうです。わたしもそう思います。だれにもその力はあるのだと。

 

形而上学

形而上学は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える。対立する用語は唯物論である。(ウィキペディアより)

 

心理学を学んだドリーンは、カウンセリング心理学博士としてさまざまな医療機関で勤務していた経験をもち、のちに「エンジェルセラピー」という分野を確立しました。

わたしたちは常に聖なる存在に守られ、導かれている。それはかつてこの地球で聖人とされ、天に昇ってからも導師として進む道を示してくれるアセンデッド・マスター(代表的な存在はイエス聖母マリアブッダ、観音、ヨガナンダなど)や、天使界、妖精、精霊、そして唯一でありすべてを内包する神です。

天使や神という単語を出すと宗教的な要素を見出す方もいらっしゃるかもしれませんが、宗教とは何の関係もありません。「神」、「大いなる宇宙」、「ソース」。日本語だけでもいろんな言葉で表現されますが、わたしはこれらはすべて同じ存在を指していると思っています。

呼名はどうであれ、守り導く存在がある。これをわたしは身をもって実感しています。何度も救われ、温もりを感じた経験があるのです。

 

その存在たちは、わたしたちにメッセージを届けてくれています。

わたしたちはそれらをいろんなかたちで受取ります。あるときは思考や閃きを通して、あるいはふと耳に入った会話やラジオから流れる音楽、目にする景色や印象的なシンボルから。蝶や鳥の羽ばたきも天界からのメッセージです。

そしてなかでもとくにダイレクトなのが、数字です。

数字はそれそのものにエネルギーがあり、高い波動を発しています。

誕生日、電話番号、レシートに印字された代金、車のナンバープレート、デジタル時計の表示。人生のなかでも関わりの深い数字、何度も繰返し見る数字には、天からの深いメッセージが隠されているのです。

ドリーン・バーチュー氏は、数字を通して伝えてくれる聖なる存在たちのメッセージを、わたしたちが解する言葉に換えてくれました。

エンジェル・ナンバーはいまいろんなサイトさんでそれぞれの数字の意味を載せてくださっています。みなさん天使や聖なる存在たちと繋がっているんですよね。すばらしいです。ネット上にあれば気軽に気になった数字を確認できるので、わたしもありがたく活用させていただいています。「エンジェルナンバー」+「数字」で検索するとすぐその意味が出てきますから、気になった方は調べてみるとおもしろいと思います。

ネットの情報もいいですが原本となるドリーンの著書『エンジェル・ナンバー 数字は天使のメッセージ』は、サイズも手ごろで持ち運びしやすい大きさでおすすめです。装丁も綺麗で可愛らしく、わたしはこの本を手にするだけでしあわせなきもちになります。

ドリーンの『エンジェル・ナンバー 数字は天使のメッセージ』には「00」「0」~「999」までの、それぞれの意味が記載されています。悩んでいるとき、迷っているときによく目に入る数字があれば、それはきっとあなたへの大切なメッセージです。そんなときはその数字の意味を引いてみると、思いがけない気づきが得られるかもしれません。

 

大事なのは、その意味を読んだときになにを感じたかだと思います。なにが最初に思い浮んだか、直感的になにが訪れたか。身体の反応はどうか。

自分の心の声によく耳を澄ませ、あなたにしか解らないメッセージの意味を、天から与えられる無限の愛を、受取ってください。

 

ちなみにわたしは最近「8888」のナンバープレートを毎日繰返し見ます。4桁の場合は3桁+1桁に分けて意味を読み解くのが一般的です。

エンジェルナンバー【888】

宇宙は豊かで寛容です。あなたはそのつきせぬ流れを注いでもらう方法を学びました。大きな経済的成功は今もこれからも、あなたのものです。

エンジェルナンバー【888】~実践編~

この数字は、宇宙から完全なる支援が与えられているという吉兆です。経済的な豊かさが、あなたのほうへと流れています!

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エンジェルナンバー【8】

今、あなたに経済的な豊かさが向かってきています。

エンジェルナンバー【8】~実践編~

数字の8は、豊かさと成功を表しています。この数の形が表している無限ループは、お金や時間、アイディアなど、あなたが必要とするものはすべて(特に、人生の目的に必要なもの)無限に流れてくることを意味しています。

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このナンバーは以前にもつづけて現れ力をもらいました。

自分の身体や仕事のことで、不安と恐れ、もどかしさを感じていたとき。母とカフェの窓際の席で先行きの見えない未来について、でもそれ以上に自分がほんとうにやりたいことはなんなのか、互いにどんなことを望んでいるのか話していたら、ふと通りに停まった車のナンバーが「8888」でした。あ、と思ったのもつかのま、つづけて「888」「88」の車が並んで停まりました。

親戚とか友人の関係だったかもしれませんけど、そとからその関係性はわかりません。すくなくとも車種はばらばらでした。

知合いだったとしても、「8」の連番を並べて見せてくれたんですよね。あ、エンジェルナンバーだ、と思いました。そうだ、だいじょうぶ。そう思えました。

実際、そのあとわたしの生活は変り、望む仕事にも就けて、やっぱりだいじょうぶだった、とメッセージを届けてくれた天使たちに感謝したものです。そしていままた頻繁に現れ、宇宙の無限の豊かさを思い出させようとしてくれている。

じつはもうすぐいまの職場を辞めて新しいことを始めるんです。このブログや小説サイトもその一環だったりします。不安を感じながらも、わくわくしています。これからなにが起こるのか、たのしみで仕方ない。

なにが起きてもいい。そう思ってます。

 

エンジェルナンバーに、つねに見守ってくれている存在たちに、救われた経験がほかにもたくさんあります。機会があればまたお話したいと思いますが、きっとこれを読んでくださっている方のなかにも同様の経験をされている方が多くいるでしょう。

思い返せば、毎日どんなときも限りない豊かさをもらっているんですよね。

対峙しているときはそう思えなくても、あとで「こんなところにつながっていたのか!」と驚きと感動に包まれたことがいままで何度あるだろう。

 

いつもそう感じて、ひたすら幸福に包まれていたら。

つねにただ愛でいられたら。

 

天使の仕事はなくなってしまうのかもしれませんね。

なのでうんと頼りにさせてもらうよ。

わたしには、まだあなたたちの助けがきっと必要だから。

 


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君の名は。で大号泣した話

じつはひと月ほどまえから7/26をたのしみにしていました。

花火大会があるから。

も、そうだし先日の記事にもあるとおり今年もとても綺麗で大満足でしたけど、もうひとつあったわけで。

昨年話題になりいまも熱冷めやらないひとが多いんじゃないかというあの映画がついに自宅で観れるというのでね。

 

f:id:ataraxia17:20170728211120p:plain

君の名は。

 

わたしは映画館には足を運んでおらず、DVDが出たら観ようかなくらいの軽いきもちではあったんですけど。

流行にあまり興味がないので話題沸騰といわれても気にならなかったのですが、こんな記事を読んだんです。

tenkataihei.xxxblog.jp

もともと『天下泰平』さんはよくお邪魔しているのですが、そちらにあったこの記事が気にかかりまして、これは観たほうがいいなと。

で、うちの近くにはレンタルビデオ屋さんがないんですけど、ケーブルテレビのVODが7/26の0時から配信されるというので、購入しました。0時半くらいに。

観た感想はですね・・・タイトルでおわかりですよね。

 

すごくよかったです。

 

感想といえないほどシンプル過ぎて申し訳ないですけど。

でもね、ほんとうによかったです。タイトルにあるとおり大号泣しました。

いや、「号泣」という言葉をあらためて調べてみたら「大声をあげて泣くこと」と出てきたので厳密にいうとちがいますけど。夜中に大声をあげて泣いていたらご近所さんに迷惑なのでね。でもね、

 

息苦しくなるくらい嗚咽をあげましたよ。

 

もう、映像が、物語が進んでいくなかで、どんどん涙腺がゆるんで感情が高ぶっていくのがわかるんです。

よくいわれていた景色の描写がリアルで細かい、美しい、というのはわたしも観て思いましたが、映像の展開、カットの挟み方にもわたしは感動しました。

1回しか観てないし最後は大号泣(ちがうけど)してたくらいなので細かいところは憶えてないですが、赤く染まった紅葉の葉が池、かな?水に浮ぶ画がありますよね。

人物の会話や進行する物語のなかに、す、とそういう画がさりげなく入ってくる。随所に散りばめられた風景や自然の描写に、胸が締めつけられるほど心が揺れ動きました。

移り変る空の色、雲の動き、光の加減。あの世界に自分が溶け込んでいって、物語のなかに自分が生きてるような感覚が生まれ、それが大号泣(ちがうけど)につながったのかもしれません。

役者さんたちの芝居もすごくよかったなあ。みんなよかったですが、三葉の妹四葉を演じた、谷花音ちゃんの「しっかりものでイマドキな小学4年生」が可愛くてすきです。

ストーリーは、これはやっぱり1回じゃ消化しきれないかもしれないな。スピリチュアリティに溢れた、奥深く繊細なテーマが盛込まれてると感じました。こういう作品がたくさんのひとに受入れられ、話題になるというのも、時代の必然なのかもしれませんね。

泰平さんの記事を読んでたからそう感じるのかとも思うけど、瀧と三葉はもともとひとつの存在で、分離からまた統合に向かうまでのお話なのかな、とか。

 

48時間540円(税込)で購入して、期限内にもう1回観ようと思いながら観れなかったのですが、そういえばU-NEXTのポイントが1000円分あったよ。

ということであと1、2回は観たいと思っているところ。

何度も映画館に足を運んだみなさん、そのきもち解るー!

 


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葉山海岸花火大会2017

サブタイトルや自己紹介で葉山をアピールしておきながら(アピールということもないんですが)ここまであんまり葉山の話題が出てないなと。

 

そんなときにきましたよおっきいのが!今日は年に一度の花火大会!

 

とはいえわたしはおんなじ葉山でも離れた海岸から鑑賞するので、本拠地付近がいつもどのくらい盛上がってるのかいまいちわかりません。

メインは森戸海岸で、一色海岸からも打ち上がります。わたしは長者ヶ埼や御用邸が近い、葉山公園のしたのひと気のあまりない砂浜に家族と座ってのんびり観ることが多く、今年もそうでした。

 

葉山は今日曇りがち、というよりわたしの住む辺りはずっと雨で、でも夜には止むだろうとのんきにかまえていたんですけど。

横浜に住んでいる妹家族が来るので、旭屋さんで葉山コロッケとメンチカツ、鶏の唐揚を買いに出たんですね。混み合うまえにと午後4時くらいに。ちなみに花火が始まるのは7時半。

旭屋さんは森戸海岸が近いのですが、車を走らせながらん?と母と首を傾げる。雨やんだ?ていうかんー?道濡れてないじゃーん。

わたしの住む辺りは、といいましたよね。そうなんですよ、花火が上がる森戸の辺りはずっと降ってなかったみたいなんですよ。

 

いやでもね。朝、いつもの公園に行ったんですよ。葉山ステーションの話題でも触れた南郷上ノ山公園。

霧のような柔らかい雨だから、これくらいなら散歩できるかもと行ってみたんですが、着くころには水の線が太くなってきてしっかり雨になっちゃって、グラウンドにいた野球球児たちも引上げ始めて、こりゃむりだ、とドライブだけして帰ってきたんです。

町内をちょっとぐるっとまわったけれども、どこも降ってたんだよなあ。葉山はちいさな町だけど、そのなかで雨が降ってなかったのは、森戸付近だけだったんじゃないのかなもしかして。

花火が無事打ち上がるように。たのしみにしていたみんなの心に、夏空を彩るおっきな花が今年も綺麗に咲くように。

 

そんな神さまの計らいだったんじゃないかしら、となんだかほっこりしてしまった今年の花火大会。

すっごく綺麗でしたよ。とくにクライマックスの盛上がりは、例年以上だったんじゃないかなあ。妹夫婦もそのこどもたちも、うちの母も、みんな喜んでいました。

砂浜で観てるあいだ、わたしは素足を湿った砂に埋もれさせて、そのまえには海に足をつけてもいたのだけど冷たい砂がとてもきもちよくて、波の音にも癒されながら、夜空に咲いた大輪の花を今年も胸に刻みつけたのでした。

雨はもちろん、やんでましたよ。神さまありがとう。

 

 

 

じつは今日から三連休。明日は箱根にでも行こうかなあ。

 


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「しなきゃ」をやめたら

こう考えなきゃ、とか、ああしなきゃ、こうしなきゃ、という

「しなきゃ」をやめたら、

 

ほんと楽。

 

 

 

「思考は現実化する」「引寄せの法則」がわたしのなかに知識として入ってきて、自分で実践、経験するなかで、これらは真実であると確信しました。

でもいつしか、知らぬ間に自分の感情を縛りつけていたかもしれません。

感じたこと、心から信じていることが現実になるから、できるだけ前向きでいようと思ったし、いいことを考えようと思った。

不満をもつのが恐かった。不安や恐れを抱くのが恐かった。

それらが具体化されて、目のまえに現れると思ったから。

いいことを考えなきゃ、いいことをしなきゃ。

自分の考えや行動は、ぜんぶ自分に返ってくるから。

 

「引寄せの法則」は、

いつしか本質から離れたところで、空回りしていました。

 

 

 

そもそも『ザ・シークレット』『ザ・パワー』でも、怒りや恐れに抵抗しないようにということが書かれてある。

抵抗すると余計にそこに意識が向くから、抵抗したりどこかへ追いやろうとするのではなく、それらを受容れたうえで望むこと、愛しているもののことを考えましょうと。

 

 

 

不満を認めたら、不満が消えた。

不安や恐れを認めたら、恐くなくなった。

 

やっと気づいた。

わたしの心は、わたしに認めてもらいたかったんだって。

どんな不満も不安も恐れも、苛立ちだって悲しみだって、ぜんぶ自分を形成する一部なんだって。

 

 

 

そういえば先日たまたまピクサーの『インサイド・ヘッド』を観たのですが(いまごろ、というひとも多いでしょうけどわたしにはいまがいいタイミングだったんですね)、まさにこれですよね。

ひとりの人間のなかにいろんな感情があって、みんなが手を取り合いその人間を生かしている。

ヨロコビがカナシミを受容れる終盤は、しばらく涙が溢れて止まりませんでした。

悲しみも必要な感情だった。怒りや苛立ちも、恐れも。

あたりまえのことなのに、忘れていた。

感情を置き去りにして、理屈に囚われていた。

 

でもこんな学びや気づきがあるから、人生はおもしろいと思う。

日々生きているだけでいろんなことに出会うし、いろんな感情と向合うし、いろんな考えが生まれる。

「人間」をやっている、生きている。

これがしたくてわたしはわたしとして生まれてきたんだなあと、しみじみ思います。

 

そんなわたしは「生きてることがしあわせ」の境地にいつもいつでもはいられない。

たまに思い出しては、また強烈な現実に目を奪われ忘れてしまう。

いろんな欲求があるし、欲求が満たされなければ不快になる。

欲しいものが手に入っても、また欲しいものがつぎつぎ出てくる。

 

それを認めよう。

それはわるいことでもなんでもない。あたりまえのことなんだ。

 

「しなきゃ」をやめて、気づいたこと。

 

 

 

 

「しなきゃ」も「すべき」も、けっきょくは「したい」だった。

「生きたい」から、わたしは生きてるんだなあ。

 


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思考は現実化する?

連日書いていることのつづき、「しなきゃ」「すべき」をやめてみたという話。

 

を、しようと思いましたが今日はそのまえに、

「思考は現実化する」「引寄せの法則」

について語ろうと思います。

 

いまや女性誌などにも取上げられ、映画やドラマにそれとなくテーマに組込まれたり物語の会話のなかで話題に上ったりと、もうスピリチュアルに特化したものではなくなりました。

それでもむかしからそうですが、知っているひとは知っているし、どれだけ世間に広まったといっても知らないひとは知らない。

もちろん知っているからえらいわけでも、知らないからいけないわけでもなく、そのひとのベストなタイミングで知るときが来るのだと思います。

いえ、「知る」というよりは、「思い出す」というほうが近いのかもしれません。

だれもが生まれたときすでに知っている真実。

真実は、つねに自分のなかにあるものです。

 

それでも敢えて「知る」といわせてもらえるなら、わたしがこれらを知ったのは4年半ほどまえ。

2012年から2013年にかけての年末年始、生まれて初めてインフルエンザに罹りました。たのしみにしていた予定をすべてキャンセルしたという残念な年越し。

けっこう執着が強くてしばらく落込んでいましたが、熱も引いてすっかり治ったあとは、毒素をぜんぶ出したようなすっきりした気分でした。

休暇最後の1月7日。

なぜか久しぶりに図書館に行きたくなり、近くの図書館へ。

「図書館に行きたくなった」=「本が読みたくなった」というとちょっとちがう気がします。

うちにいちばん近い図書館は葉山町図書館です。

いま思えばではあるのですが、「本が読みたくなった」というより、とつぜん「葉山町図書館へ行きたくなった」のです。

着くとこんどは、なぜかいつもの小説や児童書のコーナーではなく、見て回ったことのない心理学や自己啓発の類がある棚へ足が向きました。

そこで目に入ったのが、ロンダ・バーン氏の『ザ・シークレット』。

日本での発行から5年ほど経っていました。

目からウロコとはこのことかという感じで、目にする世界ががらっと変わったのを憶えています。

すぐ続刊である『ザ・パワー』を購入。

この本では『ザ・シークレット』で明かされた宇宙の秘密=引寄せの法則をもっと奥深く掘下げ、さらに「愛」「感謝」について熱く語られており、まさにパワフルな一冊で深く感銘を受けました。

わたしの人生における大事な本のひとつです。

そのあともスピリチュアル関連の書籍をいろいろ読み漁りましたが、わたしにとっての「思考は現実化する」「引寄せの法則」の基盤は『ザ・シークレット』『ザ・パワー』。

興味がある方は手にしていただきたいですが、『ザ・シークレット』から読まなくても『ザ・パワー』一冊でじゅうぶんだと思います。『ザ・シークレット』に書かれていることはすべて網羅され、さらに進化した内容になっています。深いテーマが、わたしたちの身近な例や先人の言葉を多数挙げ、たいへん解りやすく書かれています。

徹底しているのは、「自分で自分の世界を創っている」ということ。自分の周りに現れるもの、起きることはすべて、自分の心の反映であるということ。

だから望まないものや愛していないものにではなく、望むものや愛しているものに意識を向けて、そこに愛を注ぎましょう、ということが書かれてある。

願望は「こうなったらいい」「欲しい」ではなく(それだといつまでも『「こうなったらいい」「欲しい」状態』に置かれてしまう)、想像した時点ですでに存在しているのだから、それを心から喜び、感謝しましょうと。

その喜びや感謝が望みを引寄せる。「叶った」と思えば、望みは叶う。

想像=創造なんですね。

 

これらが真実であることは、自分で経験してみてよく解りました。

シンプルなことでいえば、たとえば時間。

わたしの住む葉山町は駅がなく、つまり電車も通らないので静かでそれはいい町です。

ただ通勤には多少の不便さが伴います。電車に乗るのにうちからいちばん近いのは逗子駅。車が空いていれば15分ほどで着きますが、平日の朝はやはり混み合います。だいたい20~25分くらい。雨が降るとさらに混み、ときには40分、50分。

しかも最近混むタイミングが読めません。雨も降っていないのになぜか車がずーっと繋がってまったく動かなかったり、かと思えばやたらすいすい進み13分くらいで着いたけど今日って祝日だったっけ?みたいな日もあったり(ふつうに平日でした)。

以前は、仕事に向かう朝車が混むとそれはやきもきしたものでした。「遅刻するー!」と頭を抱え、胸はもうどきどき、ひやひや。遅延証明を出してもらえば遅刻扱いにはならないけど、手間だし、連絡するのもいやですよね。

でも引寄せを知ってからは、「いつも時間に間に合う」と思うようにしました。だから慌てなくてだいじょうぶ、と。

はじめは慣れなくて「やっぱり間に合わなかったらどうしよう」とか、「もし間に合わなくても遅延証明を出してもらえばいいんだから」という考えが頭を過りました。

長年培った防衛本能ですね。わるいことが起こるのを前提にして身を守る方法を考える。これはわたし個人ではなく、人類のDNAに組込まれているなんて話を最近耳にしました。

「もし間に合わなくても」と考えると、「間に合わない」現実が起こる。その考えを改め、「間に合った」と考え、感じるようにする。

それを繰返すうち、自分の思考に注意深くなり、望まないほうに意識が向いているときはすぐそれに気づけるようになりました。

いつしか電車に乗り遅れることはほとんどなくなり、遅れたとしてもタイミングよく乗継の電車も遅れていて逆にスムーズに到着できたり、一本ずれたことでぎゅうぎゅうの満員電車ではなくシートに座れるくらい空いている電車に乗れたりと、そんな小さなしあわせや感謝を毎日いくつも感じられるようになりました。

 

いいことがつづくと、いい感情が生まれるし、それによってまたいいことが起こる。

これが「引寄せの法則」だ、と思いました。

 

でも、じつは感情に「いい」も「わるい」もない。

うれしいとかたのしい、しあわせ、と感じることだけが「しあわせ」のすべてじゃない。

不安に思ったり、苛立ったりすることも、大事なことなんだと気づいたんです。

 


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自分を抱きしめる

昨日の記事でアタラクシアについて触れました。

アタラクシアとは、なににも乱されない心の平静な状態のこと。

周りで起きることもなにかも、すべては自分のなかから生まれるんだよね、だから自分次第でいくらでも状況は変えられるんだよ。

とはいいませんでしたがそういうことがいいたかったわけです。

それを忘れないようにしないとね。

と自分にいい聞かせてみたわけです。

 

そう、忘れるんです。

だって

 

人間だもの。(あいだみつを)

 

いろんなことで躓くし、躓けばなんでうまくいかないのって苛立つし、自分はなにをやってもむだだと思ってしまう。

なにかの、だれかのせいにしたくなることだってある。

気分がよくないときって追い打ちをかけるように気分が落込むことが起きたりします。ずいぶんまえの仕事の失敗がいまごろ明るみに出たり、早く帰りたいのに電車が遅れたり道が混んでたり。

道端のごみがやたら目について綺麗なものが見えなくなる。

緑にも花にも真っ赤な夕焼けにも心を動かされない。

些細なことで、いらいら。どんより。

 

むかしに比べたらだいぶぱっと切替えられるようになってきたけど、それでもどうしようもないときってあります。なんだかやけに泣けてくるとき。

こんなとき、ああまた忘れてる、って思う。

こんなんじゃだめだなあって、自分を責める。

内省はときに必要だけれど、自己否定に繋がる場合もある。

自己否定してしまうと、状況はあまりよくならないですね。

当然ですよね。そのときの気分って最悪だもの。

最悪の気分のときは眼にもそんなフィルターがかかって、いやなものばかり見えてしまう。そこに意識が向くから、周りにはそのいやなものばかりが存在してしまう

ほんとうは、すきなものもたくさん溢れているはずなのに、意識に入らないから存在しなくなってしまう

そして自己否定は他者否定にも繋がる。「否定」が軸になるから。ますます悪循環。

 

もう泣くしかない、こんなときは。

流れるままに涙を流し、上げたいままに嗚咽を上げるしかない。

わたしはこれでたいがいすっきりします。

涙にはストレス物質が含まれるなんてこともよく聞きますが、涙を流すことで自身の周波数が変るそうです。これはバシャールの言葉。

くるしさやつらさを感じている周波数から、本来のもっと自分にとって心地のいい周波数に、すっと変るのかもしれません。


ダリル・アンカ(Darryl Anka、1951年 - )は、特殊効果デザイナー、チャネラーである。特殊効果デザイナーとしては、ハリウッドでヴィジュアル・エフェクトの仕事をしていた。手がけた主な作品は、「スター・トレック」「アイ、ロボット」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ダイ・ハード4.0」「アイアンマン」など。

UFOを目撃したことをきっかけにチャネリングができるようになったとしており、地球外知的生命体バシャール(BASHAR)と交信しているとして、その内容をまとめて出版している。1987年に初来日し、日本の精神世界・ニューエイジを信奉する人々の間で著作が流行した。

(以上ウィキペディアより)


 

 

 

でも、あらためて思ったんです。

いろんなことに怒ったり悲しんだり、つらいなあって胸を掻き毟ったり(そんなことはほとんどなくなったけど)、

ん、待てよ、

それもあたりまえのことだよなあ、

と。

人間なら。

わたしたちは、それを味わいにこの世に生まれてきたんだから。

 

いつもなんでもうまくいって、つねに心穏やかにいられたら、それは素敵かもしれないけどつまらないかも。よろこびに、しあわせに気づけなくなるかも。

くるしいことやつらいことがあるから、よろこびは鮮明になるし、どこまでも大きく広がる。すきになれないものがあるから、すきなもののよさがよーくわかる。

わたしたちは、この世界でつねにコントラストのなかにいる。

光と影、相反するもののなかに。それこそ、完璧なんだ、と。

 

だから怒ったり悲しんだりする自分を責める必要はないし、その感情に抵抗することもない。

がんばって気分を変えようとか、明るいきもちになろうなんて、考えなくていい。

 

そう、あらためて思ったんです。

 

実際、むりに変えようとしなくたって自然と変ります。

いやな気分って意外とそう長くはつづかないものです。

だから逆になにかに怒りや悲しみを覚えたら、チャンスと思ってその感情をじゅうぶん味わうといいかもしれない。

ほったらかしにするんじゃなく、その感情にすき放題させるんじゃなく(それだと思考も暴走しがちになるから)、「自分が」まっすぐそこに向合うこと。

そして認めてあげる。怒りも悲しみも、それを内から湧き上がらせた自分も。

 

そうすると、ないがしろにされなかったその感情は落着きを取戻し、やがて消化される。

消化されたら、すごくいい気分になっているはず。

そのときその感情は、昇華されてるから。

 

そうやって自分のどんな部分も包んでぎゅうって抱きしめてあげると、思いっきり自分を愛してあげると、逆にちょっとやそっとでは芯のぶれない、怒りや悲しみに惑わされない自分が、そこにいたりするんじゃないかなあ。

それこそ、「アタラクシア」なんじゃないかなあ。

 

そう、あらためて思ったわけなんです。

 

自分を抱きしめよう。うん、そうしよう。

自分をぎゅうっと抱きしめるのは、宇宙をまるごとぎゅうってするのと同じこと。

宇宙にたくさんたくさん愛を送れば、寛大で無限なる宇宙は、もっともっとたくさんの愛を返してくれる。

 

それ以前に、わたしたちはつねに、無限の愛に包まれている。

不完全な自分も。宇宙は愛してくれている。

 

不完全であることが完全なのだと、宇宙は知っているからね。

 


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アタラクシア

このブログ、というより別宅の小説サイトには、当初ちがうタイトルをつけていました。

それがこの記事のタイトルである「アタラクシア」。

別宅は見るひとが見ればひと目で判るでしょうけど、WordPressのテンプレをほぼそのまま使用しています。

このブログもそうですけどメインタイトルのしたにサブタイトル、キャッチコピーがついてますね。ブログは「葉山でゆったりまったりライフ」、小説サイトは「葉山のゆったりテラスハウス生活」。

「アタラクシア」のサブタイトルとしてつけていたのは「じぶんらしくすべてとつながる」。

わかるようなわからんような感じです。なにせテンプレがなんだかかっこよさげだからそのまま使っちゃえ、ぐらいの感覚でつけたので。

現在のサブタイトル(になっているかももはやわからない)もむりやり感が満載です。我ながら言葉のセンスを疑います。

もっといいのが思いついたら変えるかもしれません。正直そこにあまり意味はないので。意味が見出せたら、それに相応しい言葉をあてはめようと思います。

 

ところで今回わざわざ記事のタイトルに挙げた「アタラクシア」。

この言葉を、みなさんご存知ですか?

耳にするようなしないような・・・という方が多いのではないでしょうか。

わたし自身はずっとまえにどこかで出逢った言葉で、そのとき意味を調べたはずですがすっかり忘れていました。

ただ言葉の響きと印象だけは心に残っていて、サイトを立ち上げるにあたりまず出てきたのがこれです。

アタラクシア。

google先生に訊ねると、概ねつぎのようなことが意味として出てきます。

 

「外界に煩わされない、心の平静不動なる状態のこと」。

 

なるほどー。ある部分でわたしの理想だったわけだな。

それで胸に残っていたんだなあ。

 

すべては自分の内側から生まれます。

目にしているもの、感じていること、周りにあるものすべて。

すべては自分の心の反映。だから、たとえばつらいことが起きたとしても決してほかのなにかのせいにはできないし、逆にうれしいことがあれば思う存分よろこびに身を委ねていい。

つねに自分で感情と思考の選択ができることを、忘れないようにということだったのかもしれません。

 

けっきょく変えちゃいましたけど、

アタラクシア。

サイトとブログも、閲覧してくださる方のご意見は素直に受入れながら、中心の軸はぶれないよう信念をもって運営に努めてまいります。

 

 

 

意外と固く終ったわ。ふだんはゆるーいんですよ、ほんと。

 


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