目覚めれば川のほとり

葉山でゆったりまったりライフ

いまだから視える過去のこと

昨日リヴィングの電気が切れました。

停電ではなく、メインの蛍光灯だけ。

ここに住んで約8年、いちども替えたことがありませんでしたが、ついに寿命がきたわけです。

ダイニングキッチンとつながっているし間接照明もあるから真っ暗にはならないのだけど、母は

「暗いのいや」

と昨夜こぼしていました。

 

以前からそうです。

わたしは蛍光灯の白々した灯がすきじゃなくて、じぶんの寝室はまず点けない。

昼間はカーテンを全開にし窓も扉も開放していることがほとんどで、つねに光や風を通しているのでそとの明りでじゅうぶんだし、夜も点けるのはベッドサイドのランプやキャンドルだけ。

母はそんなわたしの部屋を「暗い」といいます。わたしには、リヴィングの灯が明る過ぎるんだけど。

好みもあるんですが、それだけでもなくて、つづけていわれる母の言葉にはいつもなにも返せません。

 

暗いのはいや。むかしの貧しい時代を思い出すから。

 

母の言葉です。

 

 

 

このところ、なぜかわからないけど、むかしをよく思い出します。

母のいう「むかし」ではなく、わたしにとっての「むかし」。じぶんのこどものころのこと。

ふいにあのころすきだった本を読返したくなって、昨夜手に取った本はいとうせいこう氏の『からっぽ男の休暇』でした。これを読んだのは小学校高学年のころかなあ。

第1版発行は1991年。

「からっぽ男の休暇」の画像検索結果

いまはもしかしたら文庫版じゃないとなかなか手に入らないかしら。

いとうせいこう氏は幅広く活動するクリエイターとして知られていますが、じつはわたしはあまりよく知らない。知っている姿は、最近でも拝見する番組のコメンテーターとしてのお姿と、シティボーイズの舞台に参加されていた姿です。シティボーイズもだいすきだったなあ。中村有志さんもいっしょだった『丈夫な足場』とか、WOWOWでやっていたのを録画して何度も観ました。

「シティボーイズ」の画像検索結果

シティボーイズ。

の話は気が向いたらまたこんどするとして、『からっぽ男の休暇』はその舞台での姿を拝見するまえに読んでいたと思います。だからなにをしてるひとなのかぜんぜん知らなかった。

でも、忙しくしてたひとなんだなあというのはわかりました。なにせ冒頭はこんな文章から始まるんです。

 

「長い休暇になる。一年間だ。いや、実のことをいえば、もっと休んでもいい。今、僕はそれを自分で決めてしまえる立場にいる。仕事をやめたのだ」

 

本の内容はタイトルでも冒頭でも記されているとおり、長い休暇をとったせいこうさんが南の島で一年間を過す話。東京とはまったくちがう生活と時間の流れのなかで、ふといろんな童話を思い出していく。

でもそれがどれも微妙にちがう。たとえば青い鳥のチルチルとミチルはチルチルとグレーテルになるし、赤ずきんの狼は七ひきのこやぎと3びきのこぶたの狼とごっちゃになるし、黒雲と太陽は自然を相手に闘う勇敢な同志の物語になる。

どれも正しくは思い出せない。世界中の多くのひとが認識している物語にはならない。

でも、それを知るひとはそこにはいない。記憶は正されないままだけど、ぜんぜん問題ない。

 

すべてが事実ではないでしょうけど、おそらく実際に観た景色や出来事をご自身のなかで寝かせ醸造して、インテリジェンスとユーモアに満ちた言葉で表現されている。

くすっと笑いつつ、どきっと目を瞠る。むかしも何度も繰返し読んだけど、いま読返してみるとあのころには解らなかったことや感じ入るものがある。

終盤の英知に富んだ気づきにははっとさせられます。はっとさせられたあとの、終り方がまた秀逸。

あいだに入る南の島の美しい景色にも癒されます。

 

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わたしは最近、童話ではなく「むかし」を思い出すんだけど、それを掘下げようとするとわたしの「むかし」もはっきりしないことが多い。せいこうさんの曖昧な童話のように。

明確な輪郭をもっているかのような記憶だって、当時の経験とはちがうかもしれない。

過去は、じっさい変ったりもするし。わたしの過去も未来も、「いま」のわたしのなかにしかない。

いま認識している過去の記憶は、どうしようもなくつらかったことも含めて、美しいと思う。

すべてとは、まだいえないけど。すべての過去を美しいと思えるようになる日は来るかしら。

 

 

 

電気を買うのを母もわたしもすっかり忘れていて、さきほどリヴィングに下りたら間接照明が齎す橙色の空間で母がテレビを観ていました。

『渡る世間は鬼ばかり』。

このメインテーマは名曲だ、ってこれもむかし、お世話になったひとがいってたっけ。

玄関とリヴィングを仕切る扉は磨り硝子になっているので、玄関の灯も点けたらもっと明るくなると思い、母に点けるかと訊く。母はゆったり顔を上げ

「いいや」

 

ずっとまえに比べると、母が語る過去は優しい色が増えた気がする。

落着いた灯のなか、ソファに寝ころびテレビを観ている母もまた、

過去を美しく甦らせているのかもしれません。

 

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箱根のおいしいイタリアン 芦ノ湖テラス『ラ・テラッツァ』

昨日箱根に行ってきました。

箱根は人気の観光スポットですが、葉山から車で2時間ほどで行け、わたしもすきな土地でよく行きます。

よく行くので、逆に決まった場所を巡ることが多い。

だいたい宮ノ下経由で仙石原へ向かい、ススキで有名な草原や植物群落を眺め、芦ノ湖を廻って帰るルート。

緑のなかをドライブするだけでもきもちいいですが、彫刻の森美術館や恩賜箱根公園でのんびりしたりも。

食事でわたしがよく訪れるのは、自然薯料理で有名な宮ノ下の『山薬(やまぐすり)』、あとは仙石原のラリック美術館に併設されているカフェ・レストラン『LYS(リス)』

LYSはとくに、ほんのちょっと特別な日のランチに選ぶことが多いです。いい気候のときはだんぜんテラスがおすすめ。綺麗なお庭を眺めながらおいしいフレンチがカジュアルにいただけます。ランチプレートがお得ですが、わたしは好みに合せてアラカルトで頼むことがほとんど。ワインも美味しい。

 

わりと冒険しないたちで、一度行ってよかったお店に通うタイプです。

なので今回も当初はLYSに行くつもりでした。でもたまにはちがうお店もいいかな、とちょっと思ってて。

西湘バイパスのサービスエリアで、たまたま目に入った「小田原箱根ガイドMAP」。ここにもよく来るのに、手にとったことがありませんでした。

連れがアイスを食べているあいだひまつぶしに広げ、見つけたのが今回タイトルに挙げたお店です。

 

芦ノ湖テラスのイタリアンレストラン『La Terrazza 芦ノ湖』

芦ノ湖も、箱根に行く際は必ずといっていいほど廻る場所ですが、前述したとおり決まったところしか行かないんですよね。今回、もっといろいろ見て廻ってもいいなと思いました。

来る途中ネットで検索して出てきた、テラスからの景色とテーブルにのぼるピッツァ、ビールに惹かれ、すっかりその気に。場所は箱根神社の近くですぐわかりました。

残念ながらテラスは解放されていませんでしたが、窓際のいちばん奥で、ベストな席に通されました。

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そとの景色を眺めるのに最適。はじめカーテンが下りてたんだけど、頼んだらすぐ上げてくれました。

食事をするとき、見える景色がわたしはとても重要で、いつもLYSを選ぶのも庭の眺めが大きい。

このラ・テラッツァは芦ノ湖の湖畔に建っているので、店内にいてもこんな風に湖が眺められていいです。

 

肝心のお料理。

メニューは、わたしは「その日のおすすめ」があればそのなかから選択します。おすすめメニューがあれば通常のメニューは開かないことも多いです。

今回もおすすめから三品選択。どれもメニューを見て、ぱっと惹かれたものを選びました。こういうときはずれることって滅多にないのですが、これがはずれなしどころか大あたり

まず出されたのはこちら。

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イチジクと水牛のモッツァレラ、生ハムのサラダ。奥にあるのはこれもおすすめのスパークリングワイン。

旬のイチジクにフレッシュなモッツァレラチーズ、生ハムもたっぷり乗っていて、美しい一皿。

おいしくないわけがない。

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大きくカットされたイチジクのごろっ、とろっとした食感。チーズ、生ハムともに非常に質も状態もよく、この塩気とイチジクの新鮮で爽やかな甘みが絶妙に絡み合います。至福。

つづいてピッツァ。人気ナンバーワンだという定番のマルゲリータとちょっと迷いましたが(ピッツァといえばやっぱりね)、今回はこちらをチョイス。

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サクラマスのピッツァ

クリーム系ピッツァを選ぶことはわたしはまずないんですけど、どうしてもこのサクラマスが気になって。

食べてみたらこれがもう、絶品

クリーム系といっても、ホワイトソースではなく生クリーム。これも新鮮なものを使ってるんでしょうね、ぜんぜん重くない。そこに玉葱、ケッパー、そしてメインのサクラマス。

サクラマスは写真で見ると多くなさそうに見えるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。

口に入れたときの存在感たるや。しっかり歯応えがあり、もともとの身の厚さがよくわかる。歯を入れて広がるスモーキーな香り。ほかの食材と相俟って、見た目、味、食感すべてにおいてバランスがいい。

ピッツァは職人さんがいて、生地ももちろん完璧。連れもこのおいしさに驚いていました。

これでもうお腹も心も大満足ですが、パスタも頼んでありました。よくばりなのでね。

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無農薬トマトのタリオリーニ

これもまた・・・!おーいしーい!

トマトの酸味、甘味、火を入れることによって引出される旨み。最低限の味付でトマトがものすごく生きている。そこにバジル、パルメザンチーズ、タリオリーニは生パスタで香りも食感も文句なしとくれば・・・いうことありません。お腹いっぱいだったのに、最後のお皿は非常に爽やかで、ぺろりといけてしまいました。

ワインも美味しく、スパークリングワインのあと白ワインのグラスを頼んだのですが、すーっと淀みなく身体に馴染み、もう一杯頼みました。

どれも最高の味に大満足。お皿もこまめに替えてくれて、店員さんのサービスもよかったです。

湖を眺めながらの絶品イタリアン。

箱根でロケーション+気軽なイタリアンを愉しみたいとき、おすすめです。

www.la-terrazza-ashinoko.co.jp

 

 

 

家を出たのがもう正午を過ぎていて、ほんとうならいまやっている、ポーラ美術館のピカソとシャガール展とか、岡田美術館の歌麿の浮世絵とか観に行きたかったんですけど、食事を終えた時点で16時をまわっており。美術館の受付が16時半までなので、諦めました。

ただ食事して帰ってきただけなんだけど、いつもとちがうところで新鮮な感動があったからでしょうか、一泊二日の旅行に行ってきたくらいの、充実感が残っています。

やっぱり、ちょっとおっかなびっくりでも、新しいこと、新しいところに触れてみるのって大事なのかもしれませんね。そうすると、思いがけない喜びに出逢えたりする。

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芦ノ湖テラスをあとにして、ちょっとだけ周辺をぶらり。

ぶらりしたら、いつも車で通り過ぎていた湖畔の道に、遊歩道があるのを発見。

ここは箱根神社に隣接した場所で、その影響もあってか、いっとき清浄な空気に包まれる。

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森と湖にあいさつして帰ってきました。

ありがとう。また来るね、箱根。

 

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『あなたが生まれたとき、世界中がよろこびました』

 

素敵な絵本が届きました。 

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『あなたが生まれたとき、世界中がよろこびました』

 

この、タイトルだけでも泣いてしまいそうな本。

つくってくださったのは、以前この記事でも取上げた超人気スピリチュアルブログ『幸せって意外にカンタン!』の大木ゆきのさん。前回も申しましたがわたしがいまさらご紹介するまでもない、「宇宙におまかせ」でおなじみ、著作も多数おもちの方です。

この本を出すのが念願だったとブログで語ってらしてるのですが、手に取っただけでそれが伝わってくるようでした。内側からじんわりと熱が生まれるような、強烈で、温かいエネルギーを感じました。

開いて、頁を進めるうち、しだいに落着かないきもちになってくる。

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始まり方が、ちょっとどきっとするんですよ。

きっと、だれもが経験しながらいつしか心のどこかにしまいこんでしまったこと。感情。

じぶんはどうだったかな。もっと傍若無人だったんじゃないかな。とちょっと思ったんですけど。

こんなにひとの目を気にしてがんばったりしなかった。わたしは、こんなに優しい子じゃなかった。

 

そう思ったじぶんと、心の奥をよく見つめてみて、

ああ、そうやって誤魔化してきたのかな、

なんて。思ったりして。

 

なんだか落着かないきもちになったのは、誤魔化して隠してきた、おいてけぼりにしてきた感情が、甦ったからなのかもしれません。

最後まで頁を繰り、本を閉じると込上げてくるものがあって、表紙でも本を開いたなかでもおひさまや、この世界のたくさんの生きものが笑っているのだけど、しまいこんだ感情やつらくかなしい記憶が、彼らからの温かい光に炙り出されて、浄化していくような気がしました。

 

「魂を込めた」というゆきのさんの文ももちろんですが、絵がまたほんとうに素敵なんです。

描かれたさとうようこさんは、ゆきのさんが信頼しお任せされた方でブログでも紹介されていたのですが、今回じっくり拝見して大ファンになりました。

本を彩るどの絵からも、この世界の美しい景色や感情が優しく力強く描かれている。

溢れる喜びも、つらい経験もかなしみの涙も、すべて、愛に内包されて。

 

この世界も、わたしたちも、愛そのものなんだな、ということが、この絵を観るだけでも解ります。

 

「あなたが生まれたとき、世界中がよろこびました」。

 

これは真実です。

あなたが生まれたとき、世界中が喜びました。

 

わたしは、世界のこともじぶんのこともまだまだ理解できていないけれど、それは確信できる。

真実だと、おまえはちゃんと知っていると、心が応えているから。

 

 

 

この本が発売されたのはつい先日、9月12日でした。

発売の報せを聞いたときからたのしみにしていて、ちょうど来月めいっこが誕生日を迎え9歳になるので、そのプレゼントにしようと思っていたんです。

発売当日にネットで注文し、今日届きました。

今日は、じつはわたしの誕生日。

出かけるつもりでいながら、午前中こまごました用を片づけていたらお昼近くになってしまったのですが、おかげで荷物を受取ることができました。

 

朝目覚めたとき、なんだかわからないけどすごく新鮮で、窓を開けてそとの景色にいつものようにおはよう、と声をかけたとき、世界の輝きが眩しかった。たまらなくしあわせなきもちになった。

そこへ届いた絵本。今日読めてよかったな。ご縁に、感謝です。

 

宇宙へ。

この世界に生んでくれてありがとう。わたしをつくってくれてありがとう。

 

ここへ来てくださるみなさまにも、このご縁にも、心から感謝しています。

ありがとうございます。

 

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わたしにまっすぐ

 

前髪を切りました。

 

先日髪を切ったという話をしましたね。

ロングからボブにしたんだぜ。さっぱりしたんだぜって。

さっぱり、した。したんだけど、じつはまだちょっともやもやしてて。

 

美容院に行くまえから前髪が気になってたんですよ。

わたしはこれまでおでこを出したロングが多かったんだけど、これもやっぱり数年おきに前髪を短くしてばっさり下ろしたくなる。

いつもの担当のお兄さんに相談したんです。ロングのままで前髪を切るか、伸びた前髪のところでうしろ髪を切るか。そのとき前髪は顎のした辺りまできていました。

でもほんとうは、うしろもまえも切りたかったんです。なのに、そうと決められなかった。

頭のなかに、心のなかにイメージできているヘアスタイルはある。それにしたいって。

でもできなかった。そのときは。

髪の長い方、そして前髪もあまりつくらない方は解るかもしれないけれど、勇気いりません?

全体的に髪を短くして、さらに前髪もばっさりいくって。すくなくともわたしにはそうだった。

そこでワンレングス・ボブにしたんです。これならまえにもやったことあったし。

 

で、「さっぱりしたい」というわたしの要望は叶いすっごくさっぱりしたんだけど、

どうにもまだ

 

前髪が気になる。

 

いいね、なんて母や周りのひとにいわれ、いいでしょ、なんて返しながら、なんかまだもやもやしてる。

けっきょく、美容院に行った翌日仕事から帰ったあと、切ったんです。じぶんで。ぱつんと。

 

勇気いりましたよ。

美容院に行ったばかりだし、綺麗にしてもらったのに、自らそれを壊すのかと。

やったことない髪形だし。黒のぱつんボブの前髪もぱつんですよ。へたしたらただのおかっぱじゃないですか。

切ったものはしばらく戻せないし、どうしよ、と鏡のまえで悶々とした。

やっぱやめよ、来月また美容院行こ。と鏡から離れる。ちょっとしていややっぱり、と鏡のまえに立つ。2回くらいこれを繰返した。

 

で、もうええいって。

いったれって。

いった。

 

ぱつん。

 

わー・・・

 

これこれ。

 

これよ、この姿よ。この髪形にしたかったの。

あー、美容院でなんでお願いせえへんかったんや。

じぶんでやるよりもっときれいに仕上がったろうに。

 

でもいくぶんすっきりして、よしよしと思いながらつぎの日もう一日過ごす。

周囲には驚かれながらも概ね好評で、そこそこ満足。

そう、そこそこなんですまだこの時点で。

 

まだ気になるんですよ。

なんか完璧じゃない。

最初に思い描いていた理想の形に近づきはしたんだけど、まだそこじゃない。

 

その日の夜、母にお願いしてみました。

「前髪切ってくれへん」

「えっ。まだ切るの」

「短くするんじゃなくて。もっと厚くしたい」

えー・・・と母。なにが不満かと首を傾げる娘。

やめとき、と母。なぜかと問う娘。

「厚くしたらきつい感じになるよ。コマーシャルに出てるじゃない、きつい顔の」

「女優さん?」

「女優さん・・・じゃないと思うけど」

「芸人さん」

「芸人さんか知らないけど。ちょっと太った」

「ちょっと太った?」

「縦縞のシャツに、タイトなスカートはいた」

 

 

 

 

 

 

 

ブルゾンちえみのこと?

 

 

 

 

 

 

 

おっとっと・・・

そうきたか。

それは想定してなかったぞ。

 

でもべつにいい。わたしはブルゾンちえみじゃないし。

 

というわけで、今回は迷わず鏡のまえに向かい、もうすこしうしろから髪をもってきて

ぱつん。

きのうは縦に鋏を入れてざくざくした感じにしたけど、厚くして、潔く横一直線。

出来上がった、黒の重めぱっつんボブ。

 

これこれー!

 

これよー!これなのよわたしがしたかったの!(前日とのテンションの差がおわかりになるでしょうか)

やっとすっきり。こんどこそほんものの。

 

紆余曲折を経ながらも(そんなたいした話じゃないけど)最初にイメージしたとおりになりました。

いまはたいへん満足しております。不安もあったけど、似合うじゃん、新しい髪形。素敵じゃん。

うん。似合うこと、ほんとうは知ってたんだよね。

 

けっきょく、最初にイメージしたものが最高だった。思い切りがわるくてなかなか踏み切れなかったけど。

思い切れなかったのは美容院でもそうだし、前髪切った1回目もそう。まだおっかなびっくりで、いくらかでも修正できるようになんてきもちがどこかにあって、あまり量をとらなかった。

目指すところに向かおうとしながら、後戻りできないところに踏み込むのがこわかった。

周りの目や意見も気になった。やめたほうがいいといわれたら、そうなのかも、と思った。

それで満足できないことも、最初の直感が正しいことも、わかっていたのに。

 

 

 

「わたし」にきちんと、まっすぐ向合う。

だれかの声じゃなく、じぶんの心の声を、つねにちゃんと聴いてあげたい。

 

頭であれこれ考えると、へたにさきを予測して、いらない不安や心配が出てくる。

それもそれでわるくない。そんな過程や経験もあっていい。でも、なくてもいい。

最初にぱっと思いついたこと。それをどんどんやってみたらいいのかもしれない。

そこからどうなるかなんて考えず、恐れず、きもちに正直に飛込んでみたらいい。

 

心の声に従うのは、勇気がいることもあるけれど、やってみたら超きもちいいです。

これこれ!てなる。このきもちよさは、じぶんに正直であるからなんでしょうね。

じぶんを大切にしてあげたい。もっと、わたしはわたしを信じてあげていい。

 

 

 

ところでわたしはTVをあまり観ないので、ブルゾンちえみさんについてもよく知りません。

母にいわれたときも、ぼんやりCMは出てくるけどイメージがあまり湧かなかった。

さきほど「ブルゾンちえみ」で検索してみたら、

「ボブにしたらブルゾンちえみになった」

なんて記事が出てくる。

オフィシャルブログもあったので覗いてみた。

タイトルバックのそのお姿。髪形。

 

まんまこれやん。

 

わたしもそっくりだわ。(髪がね・・・?)

これ読まれてる方のなかにファンの方がいらしたら失礼かもしれないけど、いますごくブレイクされてる方なんですよね。すみません、ほんとよく知らなくて。

24時間テレビも観てないんです。でもなにかの番組で、「走りたい!」って仰ってた姿は見ていて、素敵だなあって思った。ブログでもこのことが書かれていたので読ませていただきました。やっぱり素敵でした。リアルタイムにその感動をともにしていたたくさんの方からしたら、なにをいまごろでしょうけど。

 

ブレイクされてる方って、どんな世界でも、「わたし」を惜しみなく生きてるひとなんじゃないかな。

わたしを大事に。わたしにまっすぐ。わたしはわたしだからいいんだって。

 

はからずもブルゾンちえみで終わる。

こんどTVに出てらしたら、よく見てみます。

 

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流れに身を任せる

9月に入ってからどーもからだが重いんです。

太った・・・?みたいな。急激に5~6キロ増えたんじゃないかみたいな。

そこまで増えてはいないはずだけども(こわい想像に止めておきたい)なんだかやたら眠くてたっぷり寝ても朝なかなか起きれずぐったり。

このところ気温が下がったり上がったりしてますしね。雨も降る?降らない?みたいな天気がつづいているし、このたっぷりの湿気の影響もあるかなあ。明日は葉山はからっとするみたいですけど。

でもわたしの場合、気分がよければどんな気候でもわりと平気なんですよ。むかしは気分が優れないとすぐ天気や気圧のせいにしてましたけどね。いまはそんなことない。

 

なにかあるんだろうなあと思いながら、

ぐったりしてるときはむりになにかしようとせず、ぐったりしてたらいいや。

と、ころんとおふとんに転がる。そんなゆるい日々をあいかわらず送っております。

 

ぐったりしつつもなにか思い立ったらすぐ行動に移す。

それは「はー、しんどいけどやんなきゃ」なことじゃなくて「いまやりたい」こと。

それは徹底するようにしています。「やらなきゃいけない」ことも、「いまやりたい」ことをやってると、そのうち「いまやりたいこと」になるんですよ。ふしぎと。

なのでとにかくやりたいことをする。

9月に入って今日で1週間ですが、この1週間にこんなことをしました。

 

■スマホの機種変更

■ブログのスマホ版カスタマイズ

■髪を切る

 

からだが重いとかいいながらかねて気になっていたことを片づけはじめています。

 

スマホはね、iPhoneからXperiaに乗換えました。iPhoneは5sを4年くらい使ってたのかな?

携帯はわたし、よっぽどのことがないと切替えません。だっていまはネットしたりもするけど、究極メールと電話ができればいい。それもほんとうに簡単な用件を済ませればいい。

今回は、じつはイヤホンが壊れたんですよ。それも数ヶ月まえに。

iPhoneにしてから持ち歩く音楽もぜんぶスマホに切替えたので、イヤホンがないとほんと困る。

イヤホン買えばいいじゃんて感じなんだけど、それならいっそスマホ換えようかな、と思って。

うちは家族そろって長年auなのですが、最近auでできた新プランがじぶんには合ってるんじゃないかなあと。

www.au.com

使ったら使ったぶんだけ、というのがいいじゃないですか。

わたしは自宅ネットも含めてモバイルWi-Fiを利用しているので、それを有効に使えればいちばん安い料金でいけるわけです。

いちばん安く済ませるには1G未満に抑える必要がありますが、もともとLTEだけで4Gくらいだったのでぜんぜんいけるかなあと。そしてこれを機に

スマホでのネット利用を減らそう

と。

ゲームはそもそもしないし、動画を観ることもほとんどないし、ニュースなんていっさい見ませんが、つい外出先で手持無沙汰になるとスマホでネットを開くというのはやっていた。お気に入りのブログを覗くくらいですけどね。過去の記事を遡って読み込んだりしていた。でももうそういうのもいいかな。

その時間に、もっと静かにじぶんに向合ったり、じぶんに問いかけたりしてもいいのかもしれない。なにを感じているかとか、周囲にすきな景色はあるか、すきな音はあるかとか。いま喜べることはなにかとか。

で、この新プランはiPhoneじゃ適用できないというのであっさり別機種に乗換えることにしました。

心配だったのが音楽データでしたが、『Media Go』という無料アプリを使えばiTunesのデータを簡単にXperiaへ移行でき、実際にやってみたけど難なくクリア。

そして料金はというと、月額2000円以上安くなる見込。いま7~8000円くらいだけど、5000円程度になる。1G未満に抑えられればね。でも4Gいったとしても、もっといえば最大20G使ったとしても、新iPhoneに機種変するよりは安いです。

下取りしてもらうことでさらにここから12000円分引かれる(2000円×6ヶ月)。下取りプログラムでは11880円がもらえましたが、そこにわたしがもともともっていたポイントを加算しこのような割引になるそうです。

乗換のクーポン利用で5000円分のキャッシュバックもあったし、あのままイヤホンのないiPhoneを使っているよりよかったと思います。Xperiaにイヤホンはついてこないからべつに買わないといけないけどね。保護シートといっしょに楽天で買いましたよ。これも本来は合せて2500円くらいだけど、楽天カードのポイント利用で646円で済みました。

イヤホンが壊れてから、不便に思いながら数ヶ月放置していましたが、もっと早くてもよかったのかもしれない。換えるタイミングだよ、って教えられてた気はしてたんだけど、そのままにしていた。でもけっきょく、換えたいまがベストなタイミングだったんだと思いますけどね。

 

ブログのスマホ版カスタマイズはぜんぜんたいしたことしてないですけど、いらない項目をいっせいに消してすっきりさせました。あとトグルメニューをつけた。知識は薄いながらもっと凝りたい部分もあるので、そのうちまた仕様が変ってるかもしれません。

 

髪。

今日切ったんです。ロングからボブに。

さっぱり。

美容院て年に1~2回しか行かないんですけど数年おきにこういうことしたくなる。

葉山に来てからずっと通ってる美容院なので、担当のお兄さんもわたしの性格をよく心得ていて、「さっぱりしたい」というわたしに「ばっさりいっちゃおうか」と。

ばっさりされた髪の束が床に広がってるのを見ると、毎度のことですが、これだけのものを頭から下げていたのかと思いますよね。わたしは髪が太く量も多いので、毛先を揃えるくらいでもけっこうすっきりするんですけど、2/3以上減るとね。

これからの季節に合せちょっと重めのボブですが、それでもまあ軽い軽い。さっき洗って乾かしたけどまあ早い早い。わたしは基本的に整髪料とかなにもつけないしブローなんて高度なことはしませんので、うしろから空気を入れながら乾かすとか冷風でしめるとかくらいですが、それできれいにまとまるように切ってくれるので助かります。

ちなみにわたしが行っているのは新逗子駅近くの『FLORENT13』。カットは5000円。HP見ると「5000円~」ってなってるけどわたしはそれ以上払ったことがない。税込なので小銭を探す手間もありません。消費税が5%から8%に上がったときも変らず。だからというわけじゃないけど、いいお店です。

www.florent13.jp

 

わたしがいつもお願いするお兄さんは加賀田さんといいますが、通いはじめのころ、まだこの辺りの交通事情がわかっておらず渋滞にはまり、予約時間を大幅に過ぎて到着したことがありました。途中で連絡は入れたものの、申し訳ないなあと思っていた。

このとき、加賀田さんがかけてくれた言葉がうれしかったですね。

 

「流れに身を任せるしかないよね」

 

あれから7年くらい経つけれど、ほんとにそうだなあと思うことがたくさんあった。

いまもそう思う。

流れに任せてると、すっかり委ねてると、じぶんでどうにかしようとあれこれするよりうまくいく。

 

頭のなかでだれかがいうじゃないですか。

こうすべきだとか、いまあれをしないとこんなことが起こるぞとか。

ぐうたらしてる場合じゃないおまえにはいまやることがあるだろとか。

 

やいのやいのと。

でもそのやいのやいのに従って、うまくいったことってあったのかなあ。思い出せないなあ。

 

なんだかぐったりすると思ったら、ぐったりしてたらいい。

あれしよ、したい、と思ったら、すぐしたらいい。

今日の髪切るのも朝予約したからね。埋まってること多いんだけど今日は入れられた。しかも電話したあと準備して出かけるのにちょうどいい時間が空いていた。おかげでそのあとも時間の余裕がたっぷりあった。

しよう、したい、がいいタイミングなんですよ。今日あらためて思ったな。

 

 

 

流れに身を任せる。

どうにかしようとしなくていい。

 

どうにかなるから。

 

あんまり考え込むのはやめよう。

そんなに考えなくても、世のなかちゃーんとうまくいくようにできている。

頭に乗せてた重い荷物は、もう下ろしましょう。ほら、さっぱり。すっきり。ラクチーン。

 

ラクチンでいいんです。

身軽になって、行きたい世界へ羽ばたいちゃいましょう。

そのための羽は、生まれたときからだれの背中にも、ちゃんとあるんです。

 

 

 

この記事、書き始めたときはぜんぜんこんなテーマになる予定じゃなかったんですけど。

流れに身を任せたらこうなりました。ひとりでも、だれかの胸に響くといいな。

 

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理想の家、理想の暮し

以前妹に、こんな本をプレゼントされたんです。

世界の絶景の家

『世界の絶景の家』という写真集。

いろんな国、いろんな土地の、いろんな暮しを想像してしまう素敵な写真の数々。

まあどれも、こんなところに?!っていう場所に家が建っている。

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どれも絵じゃないんですよ。実在する。↑とかすごいよね。どこに家がって感じですよね。(左下ね)

たまに開くんですけど、意識がここじゃないどこかへすぅっと飛んでいって、ちがう世界にいる感覚があります。わたしの場合、日々のこまごましたことに気を取られてるときは、こういうのを観るとバランスが取れるようです。

 

世界は広く、いろんなひとがいて、いろんな生活がある。

そのなかでの理想の家、理想の暮し。みなさんにはありますか?

 

わたしにはね、明確にイメージできている家があるんです。

それは森のなかにある白い石造りの建物。ベッド以外ほとんど家具のない広い部屋で、ふんだんに入ってくる陽光に目を覚ます。

その部屋にはベランダがあり、わたしはそこに小さなテーブルと椅子を出して仕事をする。したからは庭で遊ぶこどもたちのにぎやかな声が聞こえてくる。

食事は家族で庭で食べる。庭には窯があり、そこではパンを焼いたりピザを焼いたり。午後は庭で採れたハーブでお茶を淹れ、見渡す限りの緑に執筆で疲れた頭と目を癒してもらい、葉擦れの音を聴いてゆっくりする。

庭から森の小径を抜ければ一気に視界が開けてそこは海。夕陽が沈んでいくのを観ながらその日一日を振返り、夜は自宅のテラスで星空を眺める。すきな音楽を小さな音で流すのもいい。

ただ満足がある。ただ感謝がある。満たされたきもちでまた眠りに就く。

静かで、無駄がなくて、すきなものに囲まれた生活。心の底から自由で、幸福感に満ちた暮し。

 

理想の家、理想の暮し。

 

「理想」って、あらためてどういう意味かなと調べてみたら、「考えうる最も完全なもの」と出てきた。

さらにウィキによると

理想(りそう)とは、考えられるうちで最高の状態のこと。プラトンによる哲学思想「イデア」を明治時代に直訳した用語。

また、ある条件定義し、それにあてはまったものを指して「理想」と呼ぶ場合もある。現実の対義語 (理想⇔現実) であるが、その現実を作る上で、目標となるものである。

なるほど。

「理想」と「現実」は、やはり対極にある言葉なんですね。

こう定義されているのを見るとあらためて、「理想」がすばらしく、目指すべきもので、「現実」はそこに向かうための過程のように感じられますね。

 

前述した、わたしのイメージする家、暮し。

これは「理想」なのかな、とちょっと疑問に思った。

考えうる最善の状態。そうかも。たしかにこんな暮しがしたいと思ってる。

でもべつに

もっとすごい生活でもいいと思ってる。

もっと豊かで、もっと喜びに満たされて、もっと驚くような感動があってもいいと思ってる。

つまるところ、わたしの想像を超えた、

どんなことが起こってもいいと思ってる。

 

そこで現実を振返ってみた。

いま、わたしが実際に生活しているこの空間、この身体、この意識。

あたりまえのように送っている日々のこの暮し、起こる出来事ひとつひとつが、わたしの想像を超えて、完璧な秩序のもとに齎されている。

思いもよらないことにびっくりして、悩んだり、葛藤したり、でもあれがこんなところに繋がってたのか!なんて信じられないほどの喜びに遭遇したりする。

 

「理想」は、ひとが考えうる最善のものかもしれない。

でも

 

「現実」って、もっとすごいじゃん。

 

そんなことを思いました。

 

 

 

理想は理想でいくらでもあっていいと思う。

でも現実が、いまここにあるものが、ほんとうにすばらしいんだって。

わたしが考えるどんなものよりも、ずっとずっと、これこそ最高なんだよなって。

 

そう思って眠りに就く、今夜はきっと、理想の家で理想の暮しをしているわたしと、おんなじきもち。

 

明日の朝は、清々しい目覚めが待っている。

明日は雨みたいだけど。

どんな天気でもね。

 

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リリィ

葉山はおとといの朝台風が通り過ぎ、空と空気がいちだんと澄んだ気がしています。

いよいよおふとんを出しました。夏場はタオルケットでしたけど、もうむりや。さむい。

さむいといいながら、窓はまだすこし開けて寝ています。

先日まで蝉が鳴くのを明け方夢うつつに聴いていましたが、それも終りました。

蝉の声はまだ聴きますが昼近くなってから。最期の力をふりしぼるように鳴いています。

朝はもう静か。いま、開け放した窓のそとからは、鳶の鳴き声と秋の虫が奏でる音色が広がっています。

もう9月も4日なんですね。前回の更新からすこし日が開いてしまいました。

おはようございます、リョウコです。

 

日も開いたことだし明るい話題を、とも思いましたが、9月に入ったら語りたいお話がひとつありまして。

 

10年まえの9月、飼っていた猫が亡くなりました。

14年くらい生きてくれて、最期は老衰でした。

 

猫は気まぐれとよく云いますけど、あの子はちがったかなあ。

わたしが呼ぶと、どこにいてもなにをしていても、にゃあ~と鳴きながら飛んできてくれました。

だいたいそとから帰ると玄関さきにいて待っていてくれたし、わたしが歌うといっしょに歌ってくれた。

言葉は通じなかったけど、よく話もしましたよ。お互いにゃあにゃあいってるだけなんだけど。

名を呼べば返事をする。にゃあといえばにゃあと返してくれる。犬みたい、って母はいってた。

彼女がなにを思って、感じていたかはわからないけど、たいせつな家族でした。

うれしいことがあったときも、くるしくてしかたなかったときも、いつもそばにいてくれました。

 

10年まえ、春ごろから、あまり動かなくなりました。

彼女はいつも窓際にいました。

飼っていた14年のあいだ、引越しをいちどしましたが、じつはどちらの家も動物が飼えないマンションでした。ないしょで飼ってましたが、周囲には知られてたんじゃないかなあと思う。

みんな見て見ぬふりをしてくれた。周りのひとたちもあったかかったですね。

でもおおやけにはもちろんできないから、あまりそとにも出してあげられず。

だからか、窓のそばにいることが多かった。晩年、弱り始めてからはずっとそうでした。

足があまり動かなくなって身体も重そうで、ぺたんと床に伏せていた。いつも、窓際で。

 

9月。ついにそのときが来ました。真夜中でした。

ずっと伏せていた彼女が、急にばたばたばたっと動き出し、慌てて呼びかけるわたしたちの声を聴いてくれたかどうか、みんなの手のなかで、息を引取りました。

動かない彼女のそばで、わたしたちもしばらく動けず、ひたすら涙を流しました。

死んでしまった。失った、というたしかな喪失感がありました。

 

亡骸のそばから動かないわたしと妹に、しばらくして、母がいいました。

「あんたたち、知ってる?」

涙でぐしゃぐしゃの顔で、わたしも妹も怪訝そうに母を見上げました。

彼女がいつもいた窓のそと、ベランダに出て手招きするので、のろのろと立ち上がる。そばに行くと

「見てごらん」

 

当時住んでいたマンションのその部屋は、1階のはしっこで、ベランダのすぐそばに小さな建物がありました。母は「電気室」といっていました。9階建のマンションの電気系統が収まっている箱のような建物でした。箱はうちのベランダに迫るように建っていて、あいだに柵があり、それはベランダから手を伸ばせば届く距離でした。

ベランダと柵のあいだの20~30センチのスペース。母に呼ばれて見たそこに

 

白い百合の花が咲いていました。

 

そんなところに花が咲いているのを見たのは、十数年暮したなかでもそのときだけです。

母がいうには、春ごろからなにかが伸び始めているのを見つけ、花が咲いて、百合だと判ったそうです。

ほんとうに狭い、なにもない場所です。どこから、どんな事情で飛んできたのか。

花が咲いたのは、可愛いあの子が亡くなる直前でした。

 

花は5つ。

父と母と、妹とわたし、そして彼女の、家族の人数分に思えました。

 

 

 

彼女の名前はリリィ。

 

ペルシャのチンチラで、白く長い毛の、そのさきがグレーがかった、とても綺麗な猫でした。

 

あのあといろんなことが重なって、その年のうちに引越しをし、東京から神奈川に移り住みました。

白い百合は、掘って連れていきました。翌年の夏、もういちどだけ花を咲かせてくれました。

翌年には妹が結婚して姪が生まれ、その顔を見てすぐ患っていた父が亡くなり、また引越して、母といまの場所へ。

ここ、葉山はほんとうにいいところで、母もわたしも気に入りすっかり落着いています。

 

リリィの写真を部屋に飾ってるんですけど、よく声をかけます。

おはようとか、ただいまとか。今日は暑いね。涼しくなったね。そとは月が綺麗だよ。とか。

たまに、まえみたいに抱きたくなって、写真の彼女の頭のあたりを指先で撫でたりします。

 

そんなわたしを、リリィはどう思ってるかしら。

あのころもわからなかった彼女のきもちを、いつか聴いてみたいと思うんです。

 

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